最近は 文房具屋さんが少なくなり ノートやメモ帳など
文具などは 大きなスーパーやコンビニ 本屋の文具部門
ダイソーなどで 買うことになる。
都心なら デパートや 大きな文具店もあるし ロフトや無印などもあるが
田舎は 中々遠いのだ。
今日は ノートとメモ帳が 使い切りそうなので ダイソーに買いに行った。
いつも使うようなノートで 枚数も多く 使いやすいものがあるかと探すが
必要なものを選ぶのに 相当時間がかかった。
それでも何冊か買い求めることが出来た。
今は 必要なものしか買わない習慣ができて それを選ぶのに時間をかける。
どうでもいいものは もう買わないのだ。
ノートは 仕事の必需品で 毎日記録を付けたり
モーサテの株価や 専門家の予想などを記録したり
世界の状況を 把握するためのものだ。
他には 自分の学習や ブログの勉強などを 書いている。
自分で書かないと 何もかも忘れたり 文字さえも忘れたりするので
書くことが 一番自分のためになる。
物忘れをしないために ノートやメモ帳をいつも傍らにおいて
記録したり 思ったことを書いたりする。
手帳も 毎日の日記として使い 何があったか 何をしたか 何を思ったかなど
手短に書いて 記録している。
毎日繰り返し 習慣になり やらないといけないような気持ちにしている。
書いてきたものは あまり見返すこともないが だんだんたまっていく。
しかし記録は 続けることで 何かあったときに見返せるし はっきりするのだ。
ノートとメモ帳は いつでも手に入るようにどんな店にも置いてほしいものだ。
(2024・9・7)
現在も 私はノートとメモ帳は 使っている。
パソコンやスマホで 記録したり色んなことに活用したりするのもいいが
日常的に 文字を書くことをしないと 自分の身にならないと信じている。
書くことが好きだし 書いているうちに新しい発想もわくし 書くことで安心できるのだ。
若い人には 到底理解できないと思うし 無駄に感じられるかもしれない。
それぞれの思いで ノートは使い メモも日記のようにして書いている。
あの日に 何があったか 誰と会ったか どんな展覧会に行ったかなど
感想も含めて書くことで あとで見直す時に 役に立っているし 忘れることもない。
シニア世代には 書くことが ボケ防止になると信じているのだ。
最近思うのは 自分は 本当に 勉強が嫌いなのだという事だ。
むかし学生だった頃は 勉強して書くことで暗記力を高め 試験に合わせて
結果を出そうというのが 普通だった。
嫌いでも やらなければいけないので やっていたし 嫌いということも
解かっていなかった。
卒業して 勉強しなくてもいい時は 本当に安心した。
だが 本当の勉強は 大人になってからするものだ。
絵の勉強も 私には必要だったが 画面に描くことで 何とかやってこられた。
本を読んだり 何かを勉強して資格を得たりするには それなりに勉強しなければいけない。
本をたくさん買って やったような気にはなっていたが 実際には役に立たない。
社会人の学校にも行けばよかったが そんな余裕はない。
自分で何とかしようと思うが 今は 文字を読むのもおっくうになる。
若い時は 頑張れるので 勉強するのは時間を惜しんでやることがいい。
ノートやメモ帳を 自分のために活用して 文字の世界を嫌わずに
学ぶことや 計画を立てたり 成果を見たり 研究したりすることは
続けていきたいと思う。
すべては自分のためである。
2025・9・10