最近 ぬいぐるみを作りたいと 思うようになり その気持ちが
どんどん強くなっている。
どうしてかな と考えると 昔の自分を 思い出したからだ。
小さい頃 茶色の布で作った クマのぬいぐるみを持っていた。
今でもしっかり思い出すほど いつも私のそばにいて
よく遊んだり 抱いたりしていた。
いつの間にか いなくなってしまったが どうしてだろう。
祖母と暮らし始めて 母とは知らないまま別れたのだが
その熊は 父がプレゼントしてくれたものなのかもしれない。
別れた母から 何か贈られてくると 送り返していたようなことも
小さい頃の記憶に残っている。
その中には 母からのぬいぐるみもあったようだった。
送り返すという事は 母というものを 私に認識させない方法だったのだろう。
現在のように 男女平等や 女性の地位向上や 女性の意見が
普通に世間に通用している時代ではなかったのだ。
色んな人の目から 私は守られていたし 大切に育てられたが
ぬいぐるみのような友達は 自分に必要だったと思う。
ノスタルジーだが この年になって やっとぬいぐるみの良さが
理解できたようだ。
ぬいぐるみの本を買い つくり方をこれから学び 自分の思う形を
作っていきたいし 思い出のぬいぐるみに近いものも作りたいと思う。
それが 自分のこころを励まし 小さい人たちを幸せにできたらと
希望を持ちながら つくっていきたい。
(2024・5・10)
ノスタルジーといえば 郷愁や懐古 追憶など 過ぎ去ってしまった戻ることのできない
時代や時間を懐かしむことだという。
私は 幼い頃に 祖母と叔母に預けられて 成人してからも 田舎で過ごすことになった。
父と母のいない家庭に育つことで 人はどう思うかもしれないが 自分はそれほど
気にしたことはなかった。
いつも祖母がいて 叔母がいて 女系家族でという環境は
慣れてしまえばどうという事はない。
不幸だとも思わなかったし いつもラジオやテレビを見ていたし
電話や手紙で 父との連絡もあり 学校の友達もいて 楽しかった。
想像力豊かな方で 妄想で あの人が母だったらとか 恋人だったらなどと
考えたりして 成長していった。
人恋しくて 寂しかったりすることもあったが 母がいないことには
慣れっこだった。
子供は 生活の環境に対して どうしてそうなったかなどとはあまり考えない。
私だけかもしれないが そういうものだと納得していた。
田舎での生活は 今思うと 少し自由だけれど 自分で限られた世界の中で
もがいていたのかもしれない。
どこにいても 自分の意志で何かをやり 自分のために生きていくという事の
大切さを 何十年もかかって やっとつかめたような気がする。
ぬいぐるみを作ることも 絵を描くことも 私の中のやりたいことの一つなのだ。
2025・5・9