年とともに 付き合いのあった人からの便りが 少なくなる。
お互いに 電話や メール 手紙や 年賀状などで やり取りすることが
憚られたり 面倒になったりすることから どんどん交際が少なくなる。
というより 無くなっていく。
同じ趣味や 仕事の人とは 年に1~2回ほどの案内がくるが
付き合いしていた 仲のいい人たちからは めっきり便りがない。
こちらから やらなければいけないのかとも思うが 遠慮しがちになる。
引越しの影響もあるが おなじところに住まなくなったから
付き合いの縁が違ってきたのかもしれない。
みんなどうしているだろうかと 考える。
足が悪いと言っていた人 認知症の症状が出てきたという人
新しい家に移った人 病気がちだった人 新しい仕事に入ったという人
色んな人生に みんな向かっている。
いい人もいれば 環境に影響を受けている人もいる。
私のように 経済的に困窮している人もいるし 豊かに悠々自適に暮らす人もいる。
人それぞれだが 年をとっても 今までの仕事を続けている人には
大きな敬意を払いたい。
人生に無駄なことはない。
経済的に いつも苦労はしていても 色んなことを続けていけることは
たいへん幸せなことだ。
少しの休みはあっても また今までのことを続けられるように
環境を整えていく必要がある。
新しく何かを始めるにしても 今までの経験を生かせるようなやり方が
自分にとっては いい方法だと思う。
友らが いつまでも生き生きして生活していて欲しいと思う。
またいつか 友達に 会えることがあれば
昔のように 明るく楽しく会えるようにしたい。
(2024・5・8)
あの人は 今どうしているか。
それは友達ではない人にも言えることだ。
色んなことで 憎んだり 恨んだり 自分を無視したりした人もたくさんいたのだが
そういう心のわずらわしさが嫌で 引っ越ししてから人との縁を拒んだこともある。
相手にとっても 私たちとは仲良くしたくない原因があったのだろう。
そういう気分も たまに湧いてくるが 今どうしているかは気にしている。
生きているか 病院に行っているか 認知症になったと聞くが その後どうしているか
その子供たちは 今どうしているかなど 考えると結局気になるのだ。
憎しみや 恨みは 対決していないので 消えてはいないが
相手にとっては それほどの事でもなかったかもしれない。
傷ついた人は いつまでも忘れることはないが 傷つけたことさえも わかっていない。
しかし時とともに 嫌なことは 忘れた方がいいと思うこともある。
気にしていても 自分が損するだけだと思う。
今の生活を前向きに考えていくしかない。
友でもないが 元気で活躍はしているのだろう。
それも頑張って欲しい。
友らは 遠くにいても 便りが無くても お互い元気でいて
いつか会えた時に 離れていた時間も忘れるくらい喜べるのではないかと思う。
そんな嬉しい時を 迎えたい。
2025・5・8