母の日

日常

明日は母の日。
子供たちには 何もしてあげられず 申し訳なく思う日々だが
子供たちからは 優しいプレゼントが贈られている。
カーネーションの花束 美味しいお菓子などなど
本当に 有難いことだ。

自分は 母のいない生活が長かったために 母の日に 何かしたかと思うと
あまり記憶がないのだ。
生みの母との再会をしたころは 花などを贈ったことがあるが その位だ。
普通に 生きてこれたことが ただただありがたく 感謝は忘れない。
母のように いつも私を助けてくれた人や 頼れた人 優しくしてくれた人
導いてくれた人は たくさんいて その方たちにも 感謝をしたい。

私も年齢的には だいぶ上になったが 人のお世話もあまりせず 相談にも
深く乗ってこなかったのが 心残りだ。
母のような心をもって 人のために一生懸命心を尽くすことができていたら
もっと考え方も深みが増したかもしれないが わたし自身が いっぱいいっぱいで
人のことどころではなかったのだ。
ゆとりもなく 時間もない状況は確かにあった。
今更だが もっと自分を使える人間にすべきだったのかもしれない。

母の日に 反省会のようになったが 子供たちに感謝するとともに
自分も みんなに感謝の気持ちを贈りたいと思うのだ。
                                  (2024・5・11)

今年も2~3日前に 母の日のカーネーションの鉢植えが 長男から送られてきた。
会えないのは残念だが 忙しい中を心を使ってくれたことを感謝している。
孫たちの写真も ラインで送られてきた。
私も自撮りで花と一緒に写真を撮り 息子に贈った。
こういうやり取りができて 母の日は役に立つ。

幼かった子供たちが 家庭を持ち その子供たちも成長している。
親になってわかったことも多いだろう。
今仕事を始めて 保育園の子供たちを見ていると かわいさがたまらない。
小さかった自分の子供たちにも もっとかわいがっておけば良かったと思う。
時間は戻ってこないが 自分の子供に対して愛情を注げるときは
本当に時間を割いて いっぱい いっぱい かわいがってあげた方がいい。
子供をないがしろにすると 色んな害が及んで うまくは育ってくれないと感じる。
優しい気持や おおらかに育ってくれるような 個性を伸ばしてあげられるような環境や
生活を与えられるように 親も頑張って 優しくおおらかに生きていこう。
母の日を 親として考える日にしてもいい。

                                 2025・5・11

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