幼い頃に 祖母に預けられた時 すごく怖い人だと思った。
私がまだ4歳くらいで 田舎暮らしに慣れなくて 一人ぼっちの頃だ。
叔母もいて 本当はかわいがってくれていたのだろうが
自由奔放に育てられていたので 祖母の厳しさに ビックリしていた。
よくわからないまま 田舎暮らしの真っただ中で 生活することになった。
昔 学校の先生もしていたので 無料で近所の子供たちに 勉強を教えていた。
私もその中に混じり 文字を練習したり 算数を学んだりしたものだ。
小学校でも 文字は書けた。掛け算は 少し無理だった。
戦後間もなくの頃だから まだ世間の生活は 豊かではなく
勉強がタダで教えてもらえることで 近所の親たちは
とても喜んで感謝していたようだ。
時には ハイキングのようなことや 正月には新年会のようなこともやり
子供たちも 厳しい先生だが 楽しみもあったようだ。
時代がすすみ 小学生の後半になる頃 生徒たちにも生意気だったり
不良な子たちがいて お金を盗まれたり 食べ物などを取られたりすることもあった。
それで 祖母は もうこれ以上教えられないとして 勉強は無くなった。
長い間 世話をしてきたことも 無駄になったのだと思う。
今思い出すだけでも 祖母はよく活動していた。
町の 困りごと相談員や ひとり親の相談や 補助世帯の相談などで
一生懸命 人の立場になって 困っている人を助けようとしていた。
商いも 困っている人に 食べ物を与えたり 小さい子供のためにあげたりしていた。
昔の教え子たちが 年を取ってからも 祖母を先生と呼んでいた。
家族を つぎつぎと病気などで失い 自分も苦労してきたことで
人の悲しみを よく理解していたのだろう。
祖母を 怖いと思いながらも だんだん理解できたことは
自分にとって いいことだし これからも 深く考えていきたいと思う。
(2024・4・23)
祖母が亡くなってから 今日で丁度50年 今日は命日だった。
本来は ちゃんと祭壇を飾り 50年のお祭りをすべきなのだが
仕事や 風邪が治らず 病院に行ったりで 何もできなかった。
申し訳なさもあるが 仕方がない。
祖母は 苦労した人で 親や 夫や 子供の事でも 色んな苦労を背負っていた。
どの家庭にも そういう苦労はあるが この家は もう一段苦労続きだったように思う。
孫の私も 育ててもらい 学校にも通わせてもらい 成人してからも世話になっていた。
厳しい人ではあったが 今考えると 優しい人でもあり 温かい人だし
くよくよしない人だった。
今の自分の年齢に合わせると もっとしっかりと大地に足を踏んで 頑張っていた。
人の世話を 進んでやり 周りの人が頼りにしていた。
今の時代は 世話を焼くことで 迷惑がられたりするが その時代としては当然だった。
祖母を 数年介護して 今のような介護の認識はない時代だったが
もう少し知識や 優しさがあったなら もっと安心させてあげられただろうと思う。
祖母には 本当に感謝している。
2025・5・15