子供も孫も 自分も 真夏に生まれている。
しし座に誕生日の人は 何か一人で生きるとか 孤高に生きるとか
リーダー的な存在とか言われているが 定かではない。
ただ そんな雰囲気は しし座の人に多いように思う。
自分が生まれた時は まだ昔の話で 病院で産むとかはなかった。
母親の実家に帰って 安心して親の世話になり産むのだったと聞いている。
戦後間もない頃なので 実家に帰るのも 難しいことだったが
田舎の風習には逆らえず 私の母も気を小さくしながら 実家で産んだと聞いた。
母とは 幼い頃 別れて暮らしたので 詳しい話は大人になってから聞いた。
それによると 朝早い頃 陣痛の痛みでだいぶ苦労したらしい。
父も傍にいなかったので 大変つらかったそうだ。
しかし 生まれたことにはみんな喜び 直ぐに子どもを連れて 父の実家に来た。
3か月くらいして やっと父が迎えに来て 東京に行ったとのこと。
その間の苦労も 住み慣れない家での生活が大変だったのだそうだ。
普通の家庭でないし 生活レベルの違いなどが 大きかったようだ。
離婚後は 音信不通で 母というものを知らないで 生きてきたが
高校生になると 薄々何かを感じ始めていた。
母が生きているといるとは わからなかったが。
子供たちは ごく普通の生活で 誕生を迎えたので 自分としては安心している。
孫についても 幸せに誕生していたので これも安心している。
自分のように 子供のころ特別な感情で育つと 子育てや 色んなことに
親に聞くこともできず 教えてもらえないので苦労する。
普通で育てられることの大切さを 今も 思っている。
生まれた日は 祝い 喜び みんなが大切に思ってくれているのを
感謝する日でありたい。
(2024・8・2)
8月に入り 自分の誕生日が近づいてきた。
70歳も半ばに近くなり この先のことがどうなるのか 不安がよぎる。
健康で 何とか動けて 仕事もやれるように 自分を励ますしかない。
もし 仕事が無くなったら 仕事を断られるようになったら どうして生活していいのか
全く予想もつかない。
同じような不安を持ちながら 生活している人も多いのではないかと考えている。
若い時に もっと無理してでも 経済を考えて生活しておくべきだったと反省する。
後悔はあっても どうしたらよかったのかなどと今更言い訳ができない。
今の生活が予想出来たら 若い時にもっと頑張っていたのかもしれないが
一生懸命頑張っても どうにもならない生活だった。
人のためや 自分の生きていた社会のために 無報酬 ボランテアなどで
頑張ってきたのだが 今は何も残っていないことが
何もしてこないような なかった世界のようになっている。
どうしようもないことだ。
誰にも文句は言えない。
自分が もっと将来について 考えることをしてこなかったせいなのだ。
だが それでも自由は確保できたのだから 先を見てやっていこう。
後戻りはできないのだから。
生まれ日が近くなって あらためて思ったことだ。
2025・8・3