世間知らず

日常

世間知らずというと 自分勝手で 人の意見を聞かないとか
言葉の使い方を知らない 人に騙されやすい 世の動きを知らない
責任感がないなど 誰もが解かるようなことをわからなくて 
何もで最後までできないような人をさす様だ。
しかし 何も知らずに 狭い世界で生きた人にとっては
普通の世間知らずの人ではなく 世の中を知らずに育ったという事だ。
そんな人が 今の世には多いのではないか。

敬語もしっかり使えて ある程度人との付き合いもでき
責任感もあり 仕事もできる人でも 世間知らずと言われるのはなぜだろう。
実は 自分もその一人だと思っている。
世渡りが下手で 消極的 人との付き合いはできるが 表面的なことが多い。
世間知らずではないと思っていたが いつの間にか世の中から仲間外れにされ
知らない間に 社会から遠ざかり社会になじめなくなっている。

何時からだろうと思うと やはり昔からだった。
時々気づくのだが 後の祭りで やってしまったという事が多い。
世間知らずの自分が嫌になる。
モノを贈ったり 交際したり 人と出かけるのが無理。
今から考えると あの時あんなことをしなければよかったと思ったり
恥をかいているのに 気づけなかったり
人が我慢していることを 知らなかったり
人に言った言葉が人を傷つけていたりするのは 思いやりがないのもそうだが
世間知らずという言葉がぴったりなのだ。

自分ではいいと思ってやっていたのに 人にとっては迷惑だったり
余計なお世話だったりしていた。
本当に恥ずかしい。
そういうことも重なって 何事にも消極的になっている。
恥をかいてもいいから 自分の思うままに生きていいと言われても
恥ずかしい気持ちはなかなか抜け出れないのは 世間知らずの自分を
表に出せないからだ。
どう克服していくか どううしようもないから
頑張って生きていくしかない。
世間知らずでも 生きていけるというのを 自分で証明するのだ。
自信はないが やるだけやっていこう。
なんとかなるだろうと 楽観的に思って やっていこう。
                                   (2024・9・21)

現在 あまり人との交際がないので 世間知らずで恥ずかしい場面には遭遇していない。
ただ 保育園に仕事で通っているので 若い人や中年の人との交流は
やっていかなければいけない状態だ。
余り出しゃばらないように 自分の仕事を完全にできるようにしている。
そんな中で 若い人と話したり 仕事で一緒にやる時になると
相手を助けたいような できるだけ人の役に立つようにしたい気持ちがあって
どうしても手を出してしまう。
それが 世間知らずというか やっちゃいましたというか 
余計な事なのかもしれないと反省する。
しかし喜ばれる場合もあり その匙加減が難しいかもしれない。
でも いいや。頑張れるだけ頑張ろうと思う。
ゆっくりと てきぱきと あせらずに 前を向き 進んでいこうと思う。

                                    2025・9・22

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